PAECF

ペルーアマゾンの自然文化を支援する会(1992-1998)

Peruvian Amazon Eco-Culture Fellowship (PAECF)

90年代初頭、ペルーアマゾンの小さな絵画学校から応援を頼まれたことがきっかけで、自ら会を立ち上げることになり、下記の活動やプロジェクトを行った。当初は絵具などの支援に始まり、多くの人々、グループや団体の応援に協力を得て、現地での活動内容が広がった。一連の非営利活動がひとくぎりした段階で1998年をもって閉会(元代表・永武ひかる)。

実施した活動内容:

ペルーアマゾンの自然や文化について理解や交流を深める活動、現地で行われている自然環境教育や伝統文化活動、および現地の支援事業等の非営利活動

活動の歩み:

— 現地への支援活動
1992年、1993年
・活動開始準備、会の立ち上げ、支援活動開始
1994年
・美術による環境教育活動支援(ペルーアマゾン絵画学校)
1995年
・美術による環境教育の教材、校舎修理資金支援(ペルーアマゾン絵画学校)
1996年
・住民のための緊急連絡網の整備(中央密林地方ラジオ無線の設置)
・住民のための医薬品の緊急支援(北部パスタッサ流域)
・美術による環境教育活動支援(ペルーアマゾン絵画学校)
1997年
・住民のための健康医療改善支援(北部カワパナ地方)
・住民のための緊急連絡網の整備(中央密林地方ラジオ無線の設置)
・住民のための自立支援(中央密林地方コーヒー豆皮むき機支援)
・美術による環境教育活動支援(ペルーアマゾン絵画学校)
1998年
・美術による環境教育活動支援(ペルーアマゾン絵画学校)

— 国内での展示会、講演会、イベント等開催:
1994年
2/26-3/4 「密林のスピリット」@フォーラム横浜 ペルーアマゾン絵画展、写真展、演奏会
5/6-20 「エコロジー展」@木ノ葉画廊(東京) ペルーアマゾン絵画展
5/13 講演会「神秘のアマゾン世界」@アマゾン民族館(鶴岡市)
  ※文化人類学者ルイス・エドゥアルド・ルナと元シャーマンの画家パブロ・アマリンゴ来日講演
5/14 講演会「神秘のアマゾン世界」@アビラックスタジオ(東京)  同上
5/17 講演会「アマゾン上流のシャーマニズム」@上智大学イベロアメリカ研究所  (同上の英語講演)
8/3-7 「ラテンアメリカ祭」参加@ 大倉山記念館(横浜)
8/1-31 「ペルーアマゾン絵画学校展」@アマゾン民族館(鶴岡市)
1995年
2/11 「アマゾン支流の環境問題とアート」講演会@エコロジーセンター 熱帯森林保護団体共催
2/15 「南米諸国への支援活動の報告」講演会@湘南台市民センター
3/28-4/16 「ペルーアマゾン自然絵画展」@相鉄ギャラリー(横浜)
4/22 「アースディ・フェスティバル」参加@代々木公園
8/25-26 「ペルーアマゾン絵画学校展」@湘南台市民ギャラリー
1996年
1/13-1/28 「ペルーアマゾン絵画学校展」@ギャラリー清水(藤枝市)
3/21-4/11 「ペルーアマゾン絵画学校展」@ギャラリートラックス(現・北杜市)
4/5-21 「ペルーアマゾン絵画学校展」@ギャラリーえんじゅ(大宮市)
4/6 現地報告スライド講演@ラテンアメリカ交流グループ集会(東京)
4/7 現地報告スライド講演@ギャラリートラックス(現・北杜市)
4/13-5/12 葉山町芸術祭参加 「ペルーアマゾン絵画学校展」
6/2 「密林のスピリット」@湘南戸塚WMCA 展示・講演・演奏会
10/5-6 「国際協力フェスティバル」参加(東京)
11/22-27 「密林のスピリット」@フォーラム横浜 絵画・写真展
11/24 「密林のスピリット」@フォーラム横浜 講演・演奏会
1997年
2/21-23 「TOKYO地球市民フェスタ’97」参加@東京国際フォーラム
3/18-30 「Spirit of Amazon」展@ギャラリールデコ(東京)
3/19 現地報告スライド講演@藤沢ライオンズクラブ
6/13 「アマゾンの自然や薬草などについて」スライド講演@東京農業大学
10/ 「国際協力フェスティバル」参加(東京)
10/9 スライド講演@京都外国語大学ギャラリー
10/9-24 「Spirit of Amazon」展@京都外国語大学ギャラリー 
10/15 音楽演奏会@京都外国語大学ギャラリー
10/20-24 「Spirit of Amazon」展@大阪・島本町ふれあいセンター 
1998
3/28-29 「地球市民神奈川プラザ」オープニング記念参加
4/7-12 「Spirit of Amazon」展@クリエート浜松 地球と命を守るネットワーク主催
10/17-12/2 「アンデス、アマゾン、大地の力」ペルーアート展協力 @フジタヴァンテ(東京)

活動のひとコマから

ペルーアマゾン絵画学校への支援

絵画学校の校長パブロ・アマリンゴは、美術による環境教育活動を通じて、1992年、国連グローバル500賞を受賞した。

*パブロ・アマリンゴについては – > こちら

 「この木は何の木?」ペルーアマゾン絵画学校では、子どもたちが絵を描きながら、熱帯雨林の自然や民話などの文化を、薬草などの知恵を学んでいた。
 日本ではペルーアマゾン絵画学校の作品展多数開催。 

相鉄ギャラリー(横浜市)

当時のニュースレターからの抜粋

1996年
日本の人たちがペルーアマゾン絵画学校を訪れた…たった一つの大教室があいにく改修中で屋根がなかったが、生徒たちや校長先生と交流した。町の商業会館でも親睦会が開かれ、ペルーアマゾンの町プカルパでささやかな国際交流となった…

1996年
カンドシ族の人たちへ医療品支援。首都リマから飛行機で1時間ほどのアマゾンの町ユリマグアへ。そこから小型飛行機でサンロレンソへ(医薬品を満載したら、乗員はパイロットと私だけ)、さらにモーターボートで4日間かけて奥地の村々に直接医薬品を届けた。奥地では不当な伐採業者によるトラブルを目のあたりに…

1996年
アシャニンカ族の村へラジオ無線設置。予定していた飛行機が運航中止、小型飛行機の墜落事故など、アクシデントの続発。陸の孤島にある、村の短い滑走路に着陸できる小型機には、設置するアンテナが入りきらず。設備の運搬にもひと苦労。機材を運ぶアシャニンカ族の人々と一緒に山岳密林の道なき道を歩く羽目に。歩くこと8時間。どうやって歩いたか記憶にない。僻地での無線設置に経験豊富という現地技術者が村にたどり着いたのは12時間後。それも下着ひとつの姿で。途中スコールでずぶ濡になって洋服が重くなり、疲労がかさんで座り込んでしまった。一緒にいたアシャニンカ族の人たちが技術者に、衣服を脱いだ方がいいと助言したからだったそう。

1996年
森の民アシャニンカの人々。森の山で、彼らの歩き方はまさに神業だった。上り下りのはげしい道なき道を、風のように歩き行く。裸足で、しかも、セメント袋やバッテリーなど重い荷を担いで。両手が塞がれていても、絶妙なバランスで。勾配の急なところでは、私はお尻で滑ってばかり。それに分厚いジーバンは枝で破れ、トレッキングシューズは泥がびっしりついて重りのよう。それに比べ、彼らの素足はきれいで傷もなかった。

1997年
カワパナ地方で多くの人が見守る中、ラジオ無線設置を始めたところ、無線会社の手落ちで、アクセサリー部品の不備が発覚。その時点での設置が不可となった。奥地まで入って設置の無事終了を見届けられないのが悔しく、無線会社に腹が立った。後日、村長から、その後すぐに設置できたと連絡あり。有効に使われているという嬉しい連絡が届いてほっとした…

1996年1997年
中央山岳密林に暮らすアシェニンカ族の人々は数年前までテロ活動の迫害を受けていた。緊急連絡網整備としてラジオ無線を設置したのはグランパホナル地方に計8台、エネ川流域の村に1台。エネ川流域では98年4月、テロリストが村を襲撃する事件があったが、事前にその動きを察知した住民が、ラジオ無線で早急に警察と軍隊に連絡を取った。そのため被害が最小限にとどまった。村に設置された無線が役立ったという報告を受けた。

また、広大な密林の奥地には、密かに麻薬業者が入り込み、コカを違法栽培している地域やテロリスト分子が関連している地域があり、アシェニンカ族の人々が不当に巻き込まれる可能性もあった。そのため、自立への具体的な展開が強く望まれていた。コーヒー皮とり器材の支援は、地域の人々が自立のために栽培を始めていた有機コーヒー収穫の工程を大幅に改善したという。